(2) お葬式
18日に死亡診断がくだされると、後はエスカレーターのように段取りを決めなければならない。
早速、妹はラミネート加工された「葬儀社一覧」を病院から渡され、泣いていた。 今の時代の現実に直面することになる。
昨年の父の時も、病院から自宅に戻り、安置された父の亡骸の横で葬儀の内容を決めなければならなかった。
要するに費用の決め事である。
床の間を頭にして祭壇の横で、まだ「寝って」いるように横たわっている父の横で、棺や衣装の打ち合わせを、葬儀屋と妹と3人でした。
奇妙な光景だと思う。
昨年は何も分からないまま、ただただ精一杯、親類縁者に失礼の無いようにと葬儀を済ませた。
そんな去年の光景が思い出されたが・・・・・
******お花で一杯にして、母を送ろう!******
と、姉妹で決めた。
喪服の準備に自宅へ帰った。
生前、母は私に「喪服一式」を持たせていた。
夏物の「絽」の喪服が見当たらない。確か、帯、着物とも用意してくれてた筈・・・
「お母さん、あのね、夏の喪服どこにあるの?」 といつも聞けていた母にもう聞けない・・・・
お母さん、お母さん、おかあさーん・・・・・・・悲しみが襲った。
母が作ってくれていた絽の喪服一式を始めて、母の葬式で着ることになってしまった。
形見として、この思いを閉っておきたい。
お葬式は神社神道の祭儀で行う為、 明石魚住の住吉神社を訪ね、通夜、葬儀の祭祀の依頼をした。
死亡したその夜、鳥取から母の弟ら3人が突然の訃報に驚いて駆け付けた。
宮司である叔父はたった一人の姉が亡くなり、言葉が少ない・・・
19日納棺の時が来た。
湯灌で、身を清めてもらった。
シャンプーを2度してもらい、体も泡とシャワーで清めてもらった。
香もたっぷり香らせてもらった。
「美」につながることは、妹も私もいとわなかった。
ただ、昨日の腹部の手術痕は、見る勇気が無かった。
死に化粧をして「美人」が戻った。
死後の顔も変化する・・・・と思った。
妹と選んだ「真白な絹の装束」をまとって、「真白な棺」におさめられた。→ 「納棺」
生前楽しみで習っていた「日本舞踊」の扇子、着物などを納めた。
向こうの世界でも舞ってね。
「美鈴、来てくれたんか?」と、いつも待っていた母。 もっと母の元に見舞えば・・・・と悔いが残る・・・・・
20日 遂に葬儀の日が来た。
妹と「お花に包まれて、送ろうね!」と決めていた。
色とりどりの綺麗で可愛いお花たちに包まれて逝けたら怖くないのではないか、と 日頃から何となく思っていた。!
祭壇のお花たちが、手向けのため切られていく。
棺の中がお花で一杯になって、お顔だけが眠っていた。
最後に誰かが私に、薄紫色のラン? カトレア? とユリの花を手渡してくれた。
私は一瞬考えて、まっ白いユリをお顔の右顎のあたりに、そして薄紫のお花を母の額の上の「髪飾り」にした。
この一瞬の思いつきに私は思わず、泣きながらも微笑んだと思う。
母が華やいだからである。
そして、「もう何も聞けない・・・・・」と呟いた。
母が逝ってしまって、「悔い」は沢山残るけれど、
霊安室での母の安らかな微笑みと、この世の最後のシーンで、母に髪飾りを付けてあげた事で、少しは自分を慰めている。
住吉神社の宮司様は心を込めて司ってくださった。
叔父も「神社本庁そのままで、自分が祭祀をしても、あの通りになる」 と言っていた。
神社の娘として生まれたが、「小説になるくらいの一生」を明るく、気位高く、情愛を持って精一杯生き抜いた母・・・
焚きあげ後のお骨の無機質さ・・・・・・
仲のいい夫婦は一年で追うという・・・・・
母は追った・・・ 最愛の父を追った。
続きます








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