個人レッスン
先週自宅で書道個人レッスンをしました。
この方は書歴も長いのですが、
「もう、今まで習った仮名一辺倒の書には何の未練もありません。もういいです!小阪先生みたいな芸術書道を学びたい!」
なるほど、誰もが通過する道ですね~。
彼女は書道展に出品し、賞を貰っていますが、
小阪:「何かいい事ありましたか?」
彼女:「何にもないです」
小阪:「出品された作品は、自宅に飾って楽しんでいますか?」
彼女:「一切見たくもないです」
唖然としました。
長くやっているからといって、芸術の域に行くのかどうか?
自分の心象を美意識と共に「書作品」として発表し、皆様に認知される迄作品を昇華できるか・・・?
先日「篠田桃紅」のドキュメンタリーをTVで放映していた。
103歳。。。
氏曰く「結婚もせず、子も持たず・」
戦後の近代現代の書の変遷を多く学んできたけれど、その時代を超えての作品に、出会ったことがない。
桃紅氏は書家という肩書きではないですね。
書の行き着く先を、否もっと先にあるものを求めて、彼女の研ぎ澄まされた繊細な感性と秀でたバランス感覚・美意識で、あの形態の墨の作品になったのだと思う。
作品に、篠田桃紅の人間が表れたのだ。
そう、芸術って、学んで身につくものではない。
墨をすり、言葉を研究し、文字を書き、日々の取り組みの中からこれだ!!!という作品が出現するものである、と経験的に確信している。
それが、抽象になるのか、言葉、文字、線に呪性が乗るのか。
意図してできるものではありません。
だから作品制作には、多少の狂気を孕む自分がいます。
書の可能性を模索し、
自分の日常・心模様に真っ直ぐに、書生活を過ごしていきます。
昨年の私の個展のパフォーマンスを見て、小阪にずっと習いたかったと。
楷書の「一」から始めるとのご決意。
学び、感じ取っていただけたら、と思っています。









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