私の書生活継続の原点
今日の神戸は寒の戻りか、寒い日でした。
こんにちは。
神戸在住書作家 小阪美鈴です
ご訪問に感謝です。
「書作家」って何?
そこは、私なりのアイデンティティーが潜んでいるようでして…
振り返りますと、書道を学ぶ長い道中に於いて
これは書の革命だ!と古人に驚きと畏敬の念を抱き、
その時代時代を生きた人生で個人的な手紙であったり、書であったり。。。
すごーいとしか言い様のない人物。
書道を極めたら、このような書表現が出来る境地に行けるのか…
空海、良寛、副島種臣…の書は人間とは思えない芸術だわ。。。
書は生き様。。。
神戸新聞文化部記者故山本忠勝氏は、
私の書の危うさを見抜いていらした。
「風音」と言う作品について、文化面でこう評論してられる。
『言葉には表側の明るい・理・の顔と裏側の・呪・の顔があると最近つくづく実感するようになった。小阪美鈴の書は初個展から5年目を迎えて、いわばこの理呪表裏の趣を濃くしてきた。とりわけ二つの作品が胸を打った。小阪がふと心に射した言葉をそのまま書いたという・風音・と宮沢賢治の句から採った・草の花 大きく咲いて單かな・はゴウとなって命をたぎらすかぜの実在感つまり呪性とそれをめぐる作家の思想・感覚の両方が綿密に絡み合ってそこにある。賢二の・草の花・もそこにすっきりと立ち上がって、作家と心の対話を交わすのだ』
そして、
『一服の墨絵のような作品は対象に対する作家の鋭い感覚が透明な上澄みのようにそこできらっと光っていて、無論それはそれで美しいのだが、作品によっては感覚過多へかたむくあまり書が作家の一方的な記号になってしまう危うさがないでもない』・批評専門紙編集顧問・
今になって
山本忠勝氏のご慧眼、その深さ気付く有り難さ。
数日前、ふと目にした山本氏の記事。
多分15年くらい前の個展に来て下さった…
自分の未来への書の方向性を見失い、迷子になっていた…
誰も成し得ていない難題に気付かされた。
ブログを書く事は
自分を客観的に観れるなぁと改めて思う。








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